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해설! 천성인어!! (일본어 일본 신문 칼럼)

2021년 6월 22일자 천성인어 (天声人語) - サンマ苦いか

by 홍성필 2021. 6. 30.
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(本文:본문

まだ沖縄が日本ではなかった1960年代。魚屋を営む豪傑おばぁ玉城(たましろ)ウシが、庶民の味方サンマにかけられた20%の関税に憤り法廷闘争に打って出た。「サンマ裁判」と呼ばれた珍騒動はやがて、沖縄の自治を問う闘いにつながる。

7月公開の映画「サンマデモクラシー」を見て、監督に取材した。「放送業界に30年いますが、この裁判は知りませんでした」。沖縄テレビの現役プロデューサーでもある山里孫存(まごあり)監督(57)は語る。大衆魚から火がついた大衆運動の面白さに企画書を一気に書き上げたという。

サンマはどう裁かれたのか。東京・神田の日本関税協会で裁判資料を見つけた。ウシおばぁは、みごとに勝訴し、4年半分の関税を取り戻していた。だが、判決当日、米当局は司法判断を無視するような布令を出す。

命じたのは、歴代の高等弁務官のなかでも際だって高圧的だったキャラウェイ中将。後続のサンマ裁判では裁く権利すら米国に取り上げられた。山里さんは「逃がした魚は大きく、沖縄はあの時代からずっと自治を追い求めています」。

思い出したのは、米軍基地の辺野古移設を問うた一昨年の県民投票だ。7割強が埋め立てに反対したが、その翌日も土砂の投入は続いた。さらに昨年、政府は多くの遺骨が眠る沖縄本島南部を土砂の調達候補地に加え、感情を逆なでしている。

東京・柴又にあるウシおばぁの遺族宅を訪ねた。その位牌(いはい)に手を合わせ、比類なき反骨精神を思った。あす76回目の慰霊の日がめぐる。




 


(よみがな:
요미가나

まだ沖縄(おきなわ)が日本(にほん)ではなかった1960(せんきゅうひゃくろくじゅう)年代(ねんだい)。魚屋(さかなや)を営(いとな)む豪傑(ごうけつ)おばぁ玉城(たましろ)ウシが、庶民(しょみん)味方(みかた)サンマにかけられた20(にじゅっ)%(パーセント)の関税(かんぜい)憤(いきどお)り法廷(ほうてい)闘争(とうそう)に打(う)って出(で)た。「サンマ裁判(さいばん)」と呼(よ)ばれた珍(ちん)騒動(そうどう)はやがて、沖縄(おきなわ)の自治(じち)問(と)う闘(たたか)いにつながる。

7(しち)月(がつ)公開(こうかい)映画(えいが)「サンマデモクラシー」を見(み)て、監督(かんとく)取材(しゅざい)した。「放送(ほうそう)業界(ぎょうかい)に30(さんじゅう)年(ねん)いますが、この裁判(さいばん)は知(し)りませんでした」。沖縄(おきなわ)テレビの現役(げんえき)プロデューサーでもある山里孫存(やまざと・まごあり)監督(かんとく)(57)は語(かた)る。大衆魚(たいしゅうぎょ)から火(ひ)がついた大衆(たいしゅう)運動(うんどう)の面白(おもしろ)さ企画書(きかくしょ)一気(いっき)に書(か)き上(あ)げたという。

サンマはどう裁(さば)かれたのか。東京(とうきょう)・神田(かんだ)の日本(にほん)関税(かんぜい)協会(きょうかい)で裁判(さいばん)資料(しりょう)を見(み)つけた。ウシおばぁは、みごとに勝訴(しょうそ)し、4年半(よねんはん)分(ぶん)の関税(かんぜい)を取(と)り戻(もど)していた。だが、判決(はんけつ)当日(とうじつ)、米(べい)当局(とうきょく)司法(しほう)判断(はんだん)無視(むし)するような布令(ふれい)を出(だ)す。

命(めい)じたのは、歴代(れきだい)高等(こうとう)弁務官(べんむかん)のなかでも際(きわ)だって高圧的(こうあつてき)だったキャラウェイ中将(ちゅうじょう)。後続(こうぞく)のサンマ裁判(さいばん)では裁(さば)く権利(けんり)すら米国(べいこく)に取(と)り上(あ)げられた。山里(やまざと)さんは「逃(に)がした魚(さかな)は大(おお)きく、沖縄(おきなわ)はあの時代(じだい)からずっと自治(じち)を追(お)い求(もと)めています」。

思(おも)い出(だ)したのは、米軍(べいぐん)基地(きち)の辺野古(へのこ)移設(いせつ)問(と)うた一昨年(いっさくねん)の県民(けんみん)投票(とうひょう)だ。7(なな)割(わり)強(きょう)が埋(う)め立(た)て反対(はんたい)したが、その翌日(よくじつ)土砂(どしゃ)投入(とうにゅう)続(つづ)いた。さらに昨年(さくねん)政府(せいふ)は多(おお)くの遺骨(いこつ)眠(ねむ)る沖縄(おきなわ)本島(ほんとう)南部(なんぶ)を土砂(どしゃ)の調達(ちょうたつ)候補地(こうほち)加(くわ)え感情(かんじょう)逆(さか)なでしている。

東京(とうきょう)・柴又(しばまた)にあるウシおばぁの遺族(いぞく)宅(たく)を訪(たず)ねた。その位牌(いはい)に手(て)を合(あ)わせ、比類(ひるい)なき反骨(はんこつ)精神(せいしん)を思(おも)った。あす76回目(ななじゅうろっかいめ)の慰霊(いれい)の日(ひ)がめぐる。
 

 

(もう一度読んでみよう:다시 한 번 읽어보자

まだ沖縄が日本ではなかった1960年代。魚屋を営む豪傑おばぁ玉城(たましろ)ウシが、庶民の味方サンマにかけられた20%の関税に憤り法廷闘争に打って出た。「サンマ裁判」と呼ばれた珍騒動はやがて、沖縄の自治を問う闘いにつながる。

7月公開の映画「サンマデモクラシー」を見て、監督に取材した。「放送業界に30年いますが、この裁判は知りませんでした」。沖縄テレビの現役プロデューサーでもある山里孫存(まごあり)監督(57)は語る。大衆魚から火がついた大衆運動の面白さに企画書を一気に書き上げたという。

サンマはどう裁かれたのか。東京・神田の日本関税協会で裁判資料を見つけた。ウシおばぁは、みごとに勝訴し、4年半分の関税を取り戻していた。だが、判決当日、米当局は司法判断を無視するような布令を出す。

命じたのは、歴代の高等弁務官のなかでも際だって高圧的だったキャラウェイ中将。後続のサンマ裁判では裁く権利すら米国に取り上げられた。山里さんは「逃がした魚は大きく、沖縄はあの時代からずっと自治を追い求めています」。

思い出したのは、米軍基地の辺野古移設を問うた一昨年の県民投票だ。7割強が埋め立てに反対したが、その翌日も土砂の投入は続いた。さらに昨年、政府は多くの遺骨が眠る沖縄本島南部を土砂の調達候補地に加え、感情を逆なでしている。

東京・柴又にあるウシおばぁの遺族宅を訪ねた。その位牌(いはい)に手を合わせ、比類なき反骨精神を思った。あす76回目の慰霊の日がめぐる。



 

홍성필의 해설! 천성인어!!
http://col.ikahochurch.com

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