(本文:본문) まだ沖縄が日本ではなかった1960年代。魚屋を営む豪傑おばぁ玉城(たましろ)ウシが、庶民の味方サンマにかけられた20%の関税に憤り法廷闘争に打って出た。「サンマ裁判」と呼ばれた珍騒動はやがて、沖縄の自治を問う闘いにつながる。 7月公開の映画「サンマデモクラシー」を見て、監督に取材した。「放送業界に30年いますが、この裁判は知りませんでした」。沖縄テレビの現役プロデューサーでもある山里孫存(まごあり)監督(57)は語る。大衆魚から火がついた大衆運動の面白さに企画書を一気に書き上げたという。 サンマはどう裁かれたのか。東京・神田の日本関税協会で裁判資料を見つけた。ウシおばぁは、みごとに勝訴し、4年半分の関税を取り戻していた。だが、判決当日、米当局は司法判断を無視するような布令を出す。 命じたのは、歴代の高等弁務官のなかでも際だって高圧的だったキャラウェイ中将。後続のサンマ裁..